八百八橋と野村文左衛門さん

江戸時代。明和(1764~1771)・安永(1772~1780)の頃、

橘樹郡上丸子村の肥料問屋「ほしか屋」の野村文左衛門さんが

私財を投じて中原街道沿いの村々に、流される事の無い

石橋をかけ始め、その数が、亡くなる寛政3年までに、808基と

なったと伝わります。この辺りは稲毛米の産地でおいしい米だった

らしい。 「ほしか」とは魚肥のことで、海から多摩川を上がって

丸子の渡し辺りで 陸揚げしたらしい・・・。発見されている石橋には

安永2年9月吉日 と彫られてるものが一番多いと伝わります。今、

写真は二本の石橋ですが 道幅が広いと幅に合わせ、三本となります。

私の幼年期に西明寺近くに あった 二か所の石橋を記憶しています。

 

                                  ブログの四週目記事担当。新栄会 出村時計宝飾 

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(イッツコム・なかはらスマイル2014年7月)

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